日本の同調圧力が強い理由と、少しでもラクに生きる方法。

日本という国は、個人ひとりひとりの個性よりも、見えない「世間」と同じであることが尊重される国だなと、ずっと思っていた。

 

周りと意見が違うだけで学校のクラスメイトにいじめられたり、「なんかあいつ普通じゃないよね」と言われたり。

 

意見を持っていることがまるでおかしいかのようで、みんなと一緒であることが正義で、安心感を持てる。

でも、その「みんな」って誰で、違うと具体的に何が悪いのかが、子供のころからずっとわからなかった。

とりあえず、物心ついてから、女子トイレに女子学生が何人も集まって行く意味がわからなかった。

 

その違和感は日に日に大きくなって、本当に気持ち悪いなと思って生きてきた。

それから大学生になり、社会人になって、いろんな国を訪れて、いろんな人と積極的に会話をして、閉じられた日本での狭い価値観だけがすべてじゃないと知ってから、

「ああ、日本に生まれたってだけで、世界にはいろんな人がいるんだから、自分は自分らしく生きていけば良いんだな」

って改めて気づけた。

 

そういう意味で、海外旅行は自分の精神的なバランスを保つ手段なのに、今はコロナで行けないので定期的に叫びそうになる。

 

 

わたしは実際に感じたことから日本の同調圧力は異常だな、と気づけたけれど、日々日本という国で生きていくうえで感じる、なんとなくの息苦しさの源泉を解説する本を最近知ったので、読んでみての感想をレポートしようと思います。

 

生きづらさを感じる理由が、この本を読むと少しわかるかも。

本のことが紹介されている東洋経済オンラインの記事もあります。

日本を支配する「空気の暴走」は止められるのか なぜ同調圧力が強い国だと感じられるのか

 

わたしはこの本を読んで、前にオーストラリアに短期留学したときに感じたことを少し思い出しました。そのときのブログ記事は下記。

日本は世界で一番住みやすいけど、生きにくい国だ。

 

日本社会にある「世間」が同調圧力の根本原因

二人の筆者の対談形式で書かれているこの本、第一部は「世間」が生み出す同調圧力というタイトルを掲げて、「世間」と「社会」の違いを説明しています。

日本独特の「世間」って、何でしょう?という話。

そういえば、「世間話」という言葉はあっても、「社会話」はないですよね。

本の中では、「社会」は個人の集まりだけど、「世間」は集団の力学という表現がありました。

 

ウチとソトの区別があるのも、世間ならでは。

 

個人の集まりはルールや制度で規制してコントロールする、という状態と、なんとなく同じような人たちの集まりが阿吽の呼吸で創り出す空気感の違いは、言葉では表現しきれませんが、わかるなぁと。

 

海外都市と比較する話も入っていましたが、マスク警察や自粛警察が登場するのは、日本特有の話とも。

マスクするしないを法律で規制するのは、制度で個人を縛っているからですよね。

この国はこういうルールですって、名言されるから、住んでる以上は守らざるを得ない。

ただ、日本の場合は世間という見えないルールが人を縛るって、なんか怖いなあと思う。

何の権限もないはずなのに、「みんなと同じようにしろよ!」っていう理由で赤の他人に文句を言う人が続出する謎。

Twitterみたいな匿名性高いツールだと、より暴力的になってく。

じゃあその「世間」って、どこまで広がるんだろう。

日本全体に広がっているんだとしたら、窒息しそうな空気感で押しつぶされそうな人が続出するのは不思議じゃない気がしますよね。

 

かといって、個人を出そうにも、幼い頃から大多数の人は、戦後の延長みたいな学校教育で集団重視に教育されているせいで、「個」が弱い場合が多いし。

 

個人的には、日本語と世間っていう話も入っていたのがおもしろかったです。

英語だと「わたし」は「I」しかないし、「あなた」は「You」しかない。

でも、日本語の場合は、

「わたし」:俺、ぼく、わたし、あたし、うち…その他いろいろ

「あなた」:お前、あなた、あんた、君…その他いろいろ

男か女かどういう関係性かもわかる表現が盛りだくさん。

だけど、実際日本語では主語も述語も省略されやすいよねってところが、「個」が見えず相手や集団との関係性で使われる言語だよね、という内容。

 

そこまで個を消して、集団になったところで、最後は人間ひとりなのに、そんなんで良いのか!?と思ってしまうけど、どうやら日本はそういう国で、得体の知れない「世間」が幅を利かせてるらしい。

 

本としては、今のこの日本社会に息苦しさを感じるのは、あなたのせいではないし、責任を感じる必要もないですよという内容で締めくくられておりました。

興味がある方は読んでみてくださいね。

 

息苦しさを減らすために必要だと思うこと

本の内容としては理解したとして、でも疑問が残ります。

「じゃあ、どうやったら息苦しさが減るのでしょうか?」

そっちのほうが、重要じゃないでしょうか?

 

「いやー自分のせいじゃないし、まぁなんか適当にやり過ごせば良いよ!」

って人は、多分そもそも特に苦しまないですよね、気にもならないし。

読み終わって思ったので、わたしなりに考えてみました。

きっとこの本は、まず自分のせいじゃないこと自体を知ってもらえるだけでも心がラクになる人がいるかもしれない!という意図で出たんだろうと思っていて、それはそれで良いのですが、ちょっとそれだけじゃ足りないぞー!という方は、ぜひ一緒に考えましょう!

 

方法その1.自分の考えを持つことを恐れない

自分の考えをしっかり持てるかどうかは、不安定な時代で生きる今こそ、とても大切だと思っています。

「大臣が夜8時までって言ったから、お昼なら大勢で大声出して飲み会したって良いんでしょ?」

 

って言う人は、自分の頭で考えていないですよね。

 

「先生が正しいって言ってるから、正しいんでしょ?」って言ってるのと同じ。

 

「みんな海に飛び込んでるから、僕も飛び込まないといけないんでしょ?」って言ってるのと同じ。

 

「それ、本当ですか?」って、自分に問いかけたときにちゃんと答えを出せるのか。

今後の人生を左右しそうです。

正解のない中で、自分なりの答えを作れるなら、その力は自分の支えになってくれる。

目に見えない集団に流されて、気づいたらゆでガエルになってた!

ってなると、手遅れかも。自分なりの正しさの基準を持ちたいところ。

誰かに話すか、自分の中に留めるかはどっちでも構わない。

その基準を自分で持っていることが、大切だと思います。

方法その2.人と違っていることを恐れない

正直に言って、実の親ですら、別の人ですよね。

完全に同じことなんてあり得ないし、同じ国に生まれているからといって、すべてが同じになることはあり得ません。

ただ、似たような価値観の人はたくさんいると思う。

でもそれは、日本じゃなくても世界中にたくさんいるし、隣の人が自分の世界のすべてを知っているわけじゃない。

話す言語が同じだからって、同じ価値観とも限らないのです。

生まれた環境や育った世界、経験することや出会う人々、全部一人一人違う。

だから阿吽の呼吸なんて、他人に期待してはいけないし、人と違うこともおかしなことではない。

同じであることを期待することも、期待されることも違和感。

「自分はこう思うんだけど、あなたは?」って話してみて初めて、共感したり違いを知ったりするものですよね。

だから、人と違うことはおかしなことじゃないんですよね。

「みんなと違うから、わたし変なのかな?」

と思ったら、周りが自分に合ってないだけの可能性も。

違う世界に足を踏み入れて、自分に合うところを探しましょう。

その方が、きっと快適に生きることができます。

これも、別に「わたしはあなたとは違うのよ!」みたいに声高に叫ぶ必要なんてなくて、心に秘めながら静かに別の場所を探す旅を始めたって良いし、「ああ見えてる世界が違うんだなーそうなんだなー」とただ思っていれば良いだけの話でもある。

 

今はSNSなどで発信していると、仲間が集まってくるかもしれないですよね。

そうやって新しい世界を開拓するのも楽しそうですね!

自分なりのラクに生きる方法が増えたら良いなと思う

世間体という見えない塊に心を支配されてはたまったものじゃない。

とは言っても、世の中で毎日生きていくには、完全に離脱することも難しい。

そうなったときに、自分なりのラクに生きる方法が増えていけば良いですよね。

自分の意見があることも、人と違っていることも、恐れないことが必要だとわたしは思っているけれど、流れに任せることも方法のひとつ。

自分で変えられることはいくらでも工夫できるけど、変えられないことにエネルギーを注いでも無駄になることが多いので。

これを読んでくださっている方々が、自分のココロが喜ぶような、楽しくなるような生き方を少しでも考えるきっかけになると嬉しいです。

 

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